八王子の景色   源頼朝公像                                                [戻る]



源氏山の山頂の源頼朝公の像。
烏帽子に甲冑という珍しい組み合わせはどんな状況を想定したもの
なのだろうか。


源頼朝公銅像
この銅像は治承四年(一一八〇年)十月 源頼朝公が鎌倉入り
して以来八百年目に当たる年を記念し、よりよい鎌倉づくりに
市民が心を通い合わせることを誓い合った証しとして有志の方々
から寄せられた尊い浄財によって建立されたものです。
この像が中世日本の政治経済文化の中心地として栄えた鎌倉
の歴史と郷土鎌倉の象徴として永遠に守り継がれることを願う
ものです。
    昭和五十五年十月
                  源頼朝公銅像建立実行委員会













頼朝公については説明する必要もないだろうが、東国に武士の
政権を打ち立てたことは、その後の歴史に影響を与えていく。

室町幕府下で関東を統治するために鎌倉府が設置されるが、永享・
享徳・長享の乱を経て、関東公方や関東管領上杉氏の衰退を招き、
小田原北条氏が台頭。豊臣秀吉は小田原征伐の結果、旧北条領
を徳川家康に与え、幕府の下で大都市江戸が発展を遂げる。

八王子に関しては、和田合戦による横山一族の衰退と旧横山氏の
所領を継いだ大江広元の系統・長井氏による湯殿川流域の支配。
長井氏の椚田城をめぐる戦い、など鎌倉に関わる事項は多い。

八王子の西側を通る「鎌倉街道山辺道」は鎌倉と秩父を結ぶ道。
畠山重忠の伝説も残っている。

元八王子の梶原八幡神社は梶原景時と元八幡縁の神社。

畿内を離れ、関東の地・八王子での天皇陵の造営。

頼朝公が鎌倉を本拠地としなければ、八王子の歴史も日本の歴史
もまったく違うものだったことは間違いない。