八王子の景色   宇都宮辻幕府旧跡                              [戻る]



鎌倉駅の改札を通ってそのまま直進すると若宮大路に出る。
鶴岡八幡宮に向って伸びる段葛を歩き、途中で右の路地に
入ると、住宅地の一角に宇都宮稲荷大明神と書かれた赤い
幟が目に付く。
ここが、鎌倉幕府の宇都宮辻幕府跡である。

宇都宮辻幕府舊蹟
鎌倉幕府ハ初メ大藏ニ在リシガ嘉禄元年政子薨ジテヨリ
之ヲ他ニ遷サントノ議起リ乃チ時房泰時等巡検評議ノ末同
年十一月此ノ地ニ造営十二月將軍藤原頼經此ニ移リ住ス
爾後嘉禎二年頼經再ビ之ヲ若宮大路ニ遷セルマデ天下ノ
政令ノ此ニ出ズルモノ凡テ十二年ナリ
   大正十年三月             鎌倉町青年會

鎌倉時代の「幕府」とは将軍の住まいを指す言葉である。
江戸時代の統治システムを指す「幕府」とは意味が異なる
ので注意しなければならない。










頼朝は鶴岡八幡宮の東、「大蔵」の地に幕府を置いた。

正治元年(1199)頼朝は落馬が原因で急死する。
次いで二代将軍頼家、三代将軍実朝の暗殺により源氏の
正統は絶えてしまう。

嘉禄元年(1225)6月大江広元死去、7月北条政子死去
と鎌倉幕府の創設に大きく関わった2人が死去する。
この後、に幕府は京の摂関家から将軍を迎え(摂家将軍)、
幕府をこの宇都宮辻に移すこととした。

幕府移設の理由は不明だが、大蔵幕府では摂家将軍が
生活するには不便があったのだろうか。
京から見れば東夷であり武士の社会である。
将軍の名を冠したとはいえ貴族出身者には武家の家は
向かなかったとしても不思議ではない。

しかし、嘉禎2年(1236)、将軍頼経は再び幕府を移し
てしまうのである。