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蛙石(かわずいし)
今から四百年以前北條稲荷が当地に建立せられて以来蛙石は
稲荷末社の一として蛙石大明神として崇められ永い由緒をもった
小田原の名蹟である。
その蛙石という名称は形状の蛙に似たところよりいつしか唱えら
れるに至ったものであろう。
もと小田原城内にあったものを北條稲荷勧請の際ともに城中より
ここに移されたと伝えているが明治三十五年の大地震にも少しの
異動(ママ)もなかったので試みに掘り出そうとしたところ一丈の深さ
に及んでも下部に達しなかったので然らば地下岩盤の露出の先
端ではないかという。
都路往来の文中に「蛙鳴くなる小田原の里」とあるのはこの蛙石が
小田原に異変があるときには必ず鳴声を発するためだと伝えられ
特に北條時代小田原落城の際は夜な夜な盛んに鳴いたというのは
名高い伝説である。
(説明板より)










もとは小田原城内にあったという北條稲荷社の境内にある蛙石は、
その名の通り蛙の姿をしている。
北條稲荷と同様、この蛙石も北條氏に関係すると伝わる。

豊臣秀吉の小田原攻めによって小田原城が開城したのは旧暦
七月の夏の盛りの頃だった。
「夜な夜な盛んに鳴いた」という蛙石は、早雲公をはじめ北條五代
の百年間を見守ってきたのであろう。