八王子の景色   小名路道標                   [戻る]



郷土資料館の前庭展示スペースに3つの石が展示されている。
これは寛政8年(1796)に江戸赤坂の足袋職人・清八が建て
たもので、元は、小名路の旧甲州街道入口の交差点に建てて
あった。
清八はこの他にも八王子・追分(交差点に現存)と新宿・追分の
3カ所に高尾山への道標を建てている。

昭和20年(1945)の八王子空襲により道標は破壊されたが、
一部が残され、ここに保管されている。
残存している3つの部分から文字を復元すると、

(東) (梵字:カーン) 古連より  高尾山道
(北) 寛政八□□(丙辰)年九月吉日
         □(世)話人上房□□□(村講中)
(西) (文字なし)
(南) 江□(戸)赤坂□(坂) 願主清(八)
   (( )内は推定文字
      
といった道標であったと考えられる。
(参考:縣 敏夫 『高尾山の記念碑・石仏』 高尾山薬王院
2007年10月)




清八は、江戸から高尾山までの3基の道標を建てただけでなく、
高尾山中にもいくつかの道標を寄進している。
また、薬王院の境内に、銅製の五重塔も寄進しているなど、
高尾山と関わりが深く、経済的にも豊かな人物であるが、
謎に包まれた人物である。