夕焼小焼の碑 [戻る]
上恩方・高留の宮尾神社の境内に建つ夕焼小焼の碑は、日本人の誰もが
口ずさんだことがあるこの童謡。
作詞者の中村雨紅氏はこの神社の宮司の子として生まれている。
夕焼小焼
中村雨紅
夕焼小焼で日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
お手々つないで皆帰らう
烏と一緒に帰りませう
中村雨紅 書
(碑陰)
雨紅先生略歴
筆名 中村雨紅 本名 井宮吉
明治卅年恩方村宮尾神社神官高井丹吾の三男としてこの世に生まれ恩方
小學校を經て青山師範並に日本大學に學び各地の小中等學校に奉職
大正五年青山師範卒業後童話童謡詩作に志す 大正七年野口雨情氏に
師事しての後日本作詞者協會々員となる 昭和年初から専ら童謡唱歌詩の
作成に轉じ傍ら諸方の校歌民謡音頭等にも筆をとる 昭和十五年の作日本
賛歌は天覧を賜る
松崎六三郎 書
建碑の由来
大正時代に作詞された数多の童謡の傑作中 郷土の詩人 中村雨紅先生作詞
草川信先生作曲の夕焼小焼は広く児童に愛唱され国内は勿論海外十数ヶ国
に紹介された代表作である 今回先生の還暦を壽ぎ郷党挙って先生の偉大な
藝術を顕彰して不朽の名作を後世 に殘すため側碑に刻する有志の協賛に
より茲に建碑するものである
昭和卅一年九月
發起者 尾崎 知□
松崎 六三郎
小川 又□
宮尾神社の境内に建っていたという実家への帰路をたどりながら、
夕焼けに染まる情景の中で「夕焼小焼」の歌詞が生まれたという。
中村雨紅氏が見た夕焼け空は、今も恩方の空を染めている。