由比牧址碑 [戻る]
『八王子事典』に「元八王子小学校の西側に、高さ5〜7mの
古代の堤跡があり、由比牧の跡だ」と書いてあった。
そんなに高い堤跡が本当に残っているのなら、見てみたいと
元八小周囲を随分探したが、結局見つけることが出来なかった。
しばらく経った後、堤跡はすべて取り壊されていることを知った。
その跡地が野堀川という水路になっていて、「由比牧址」という
石碑が建っているということも。
確かに八王子事典には「由比牧址碑 1955年(昭和30)橋本
義夫らが中心となって元八王子町に建てた碑。」と書いてある。
「元八王子にある」というのであまり気に留めてなかったのだが、
「弐分方町」の書き違いなのだろう。
あらためて「由比牧碑」を探しに行くと、野堀川から少し離れた
場所に建っていた。
正面に「史蹟 由比牧址」、
裏面に「昭和丗年五月建 多摩地方史研究團体連合會」とある。
団体名からも、橋本義夫氏が関係していることは間違いないが、
橋本氏は石碑の年号西暦を用いのので、和暦は非常に珍しい。
同形の石碑は、「多氷屯倉遺蹟碑」や「古市場跡碑」がある。
今は失われた「名勝 七国峠碑」も同じ形のものだっただろう。
一三〇〇年前の文武天皇の御代(六九七年飛鳥時代)、優秀な軍馬と良質な馬を
皇室に献上することを目的に、全国に国営の牛馬を育てる牧場(官牧)三九箇所と
皇室に馬を供給するための国営の牧場(勅牧)三二箇所が天皇の命により設置
されました。皇室に馬を貢納する牛馬を育成する「勅旨牧」は、上野国、信濃の国、
甲斐国、武蔵国の四箇所に置かれ、そのうち武蔵国には「立野牧」「由比牧」「石川
牧」「小川牧」の四箇所が設けられたと『延喜式』にあります。
この四つの勅使牧の位置に関しては諸説ありますが、東京都八王子市にあったと
される由比牧以外はどこに所在したのか良く分かっておりません。由比牧のみは
浅川と八王子城址のある丘陵地帯に囲まれた弐分方町・四谷町付近に比定されて
います。
由比の呼称は、時の長官由比宗弘がこの地を支配していたことからきています。
また当時の国造が由比の牧の守護人として大己貴命(おおなむちのみこと)を奉斎し、
太政官符により日枝神社(弐分方町切通し所在)を創建したとの古伝承があります。
弐分方には牧堀と称する人工的に高く築かれた土手があり、上部に堀がつくられて
いました。これが現在の野堀川です。
この堀は牧場の柵でもあり馬の水飲み場でもありました。近年に至り、台風などの
浸水被害がでたことから改修工事が行われ、現在の水路となっています。
また、この地は「弐分方原」と称され、現在、原地区と呼ばれている所以です。
(八坂神社奉賛会による説明板より)