横山塔 [戻る]
元横山町2丁目の妙薬寺の墓地に宝筐印塔が静かに立っている。
この付近は武士集団である武蔵七党のひとつ横山党の根拠地であったとされる。
横山氏古碑
この地のことは前に出せし如く、上世より横山党始祖草創の地なれば、古く開け
たることは論なく、横山庄の横山なるか。里俗伝えて横山殿の古墳なりという古碑、
村内妙薬寺境内の薬師堂の前にあり。往古より妙薬寺境内にあるにはあらず。
妙薬寺より西の方十四、五間もへだてる木ノ下屋敷という百姓地の内に年来あり
しが、そこの百姓四、五代以前に妙薬寺へ移せしと云。
この碑の下に石函あり。されども、この石函を動かすときは殃孽必ずありとて、い
まにその儘に置きしとぞ。さすれば、この地草創せし横山氏なる人の一類たるの
墓ならんか。碑面磨滅して文字知れず。
(植田孟縉書 片山迪夫校訂「武蔵名勝図会」 慶友社)
横山氏墓
東京都指定旧跡 永禄3年(1560)造立の供養塔
(八王子市教育委員会の案内板より)
横山氏は建保元年(1213)の和田合戦で 和田義盛に与して敗れて一族は滅亡
していることから、それから300年以上後に、誰かが建立した供養塔であろうか。