梅坪天神の碑 [戻る]
梅坪町・梅坪天神社の境内に大きな石碑がある。
石碑には「皇□□□」らしき題が掲げられているが、特殊な字
のため読むことができない。
後奈良天皇天文三年正月此景勝地ノ地ヲ選ビ
天穂日之命並ニ北野威徳天神子守明神を勧請シ梅樹ヲ植エ
梅坪天神ト称ス
高槻ノ城主大石源左衛門定久信仰篤ク且ツ梅花鑑賞ニ屡歩
ヲ移セリ
永禄年間滝山城主北條氏照守護神トシテ神殿ノ造営神田ノ
寄進アリ
同十二年十月武田勝頼滝山城ニ攻寄合戰ノ時神社ハ兵火ニ
罹リ社殿等威ク灰塵ニ歸シ 今存スルハ享保廿一年當郷谷
津瀬平ノ再建セシモノナリ
昭和四年神饌幣帛料供進指定セラル
皇紀二千六百年四月十五日記念ノ為メ石ニ刻シ後世ニ貽ス
モノナリ
小松茂盛書
碑文に「高槻(高月)城主大石源左衛門定久」とあるが、「木曽
大石氏系図では先代・定重の代に滝山城を本拠としている。
何の資料によって記述したのだろうか。
皇紀二千六百年は昭和十五年。
碑陰には、寄付者の氏名と寄付額が刻まれている。