八王子の景色   北条氏照及び家臣墓                               [戻る]



『武蔵名勝図絵』に『宗閑寺』の絵図が載っている。現在の宗閑寺は東に
移転しているが、絵図には境内の小高いところに観音堂が描かれている。
その旧宗閑寺の観音堂跡地に、北条氏照の墓がある。
氏照の墓は小田原駅近くの墓所にあり、この墓は供養墓である。


東京都指定旧跡 
北条氏照及び家臣墓
  所在地 八王子市元八王子町三
  標識  昭和三年三月
  指定  昭和三〇年三月二十八日
北条氏照は、早雲の孫、氏康の子で、関東管領上杉家の老臣大石定久
に代わって永禄二年(一五五九)頃、滝山城主となったとされています。
氏照は、ほかに榎本・古河・栗橋など数城を併有したとされ、後北条氏の
勢力拡大に大きく寄与した人物でした。武蔵国と甲斐国の境に大規模な
山城である八王子城を築いたことでも有名です。天正一八年(一五九〇)
の小田原攻めでは、豊臣秀吉の武将前田利家・上杉景勝らの軍勢に対
する家臣中山勘解由らの防戦もむなしく八王子城は落城しました。兄氏政
を助けて小田原城にいた氏照も、開城後、兄とともに切腹を命じられました。
現在ある氏照の供養塔は、勘解由の孫水戸藩家老中山信治が氏照の
死後一〇〇年忌の追善供養のために建てたものです。両脇には、家臣で
あった勘解由と信治自身の墓もあります。
    平成二四年三月 建設          東京都教育委員会




八王子城合戦で氏照家臣の中山勘解由は、中の丸で奮戦し、敵からもその
見事な働きが賞賛されて降伏・助命を勧められるが、これを拒絶し、討死した
と伝わる。
中山の奮闘を伝え聞いた徳川家康は、その遺児を家臣に取り立て、さらに
その子は、水戸藩の付家老にまで出世する。

氏照墓の向かって右、『本室宗無居士』と刻まれた自然石は、八王子城合戦
で討死した中山勘解由家範の墓。
氏照墓の向かって左、『中山道軒居士』と刻まれた自然石は、家範の孫で
氏照の一〇〇回忌に供養墓を建立した水戸藩付家老中山信治の墓である。
信治の墓の右に建つ五輪塔は、氏照の家臣で八王子城合戦で金子曲輪を
守備し、討死した金子三郎左衛門家重の墓である。

北条氏照の墓には、氏照の戒名『
青霄院殿透岳宗閑大居士
と命日である『
天正十八年七月十一日』が、
また墓の裏面には、
元禄二己巳天七月十一日 北條陸奥守氏照 現住信庵叟海音造立之』と
刻まれている。