関東綱五郎墓之跡 [戻る]
清水次郎長の子分として知られる関東綱五郎は、現高尾町の落合
地区の出身である。
落合の町を見下ろす墓地には「関東綱五郎墓之跡」の文字が大きく
刻まれた石碑が建っている。
碑陰に綱五郎についての説明がある。
鈴木綱五郎は鈴木家の六代目に当たり祖先は甲州武田氏滅亡に
より旧浅川村落合に移住す。 文政五年(一八二二)に生まれ青年
期は幕末に当り世は騒然とし狭い浅川村に座すことが出来ず家を
出て関東綱五郎と名乗り侠客の仲間に入り遂に清水次郎長の門を
叩きその客分となり世に名を挙げ初老期に帰郷して村民の面倒を
見る。当時の住居約四十五坪総欅作りの家屋を明治十年頃菩提寺
の大光寺の庫裏に納め隠居し明治十九年十一月歿す。墓は昭和
五十二年三月二十七日大光寺構内に移転す。
昭和五十二年七月十三日 実孫 故 持田ツネ
八代目嗣子 医博 鈴木幸雄
実孫の夫 医博 持田治郎
綱五郎の旧住宅は大光寺の庫裏として現存しており、また、
この墓跡から程近い関東綱五郎住居跡にも石碑が建てられている。