常盤塚 [戻る]
江戸時代の地誌「武蔵名勝図会」に記載がある。
常盤塚
北条家の臣常盤小六郎平盛時というもの天正十八年六月廿三日に討死す。
その躯を埋めたる塚なり。この人は相州下川尻の辺に住せしと云。子孫民間
に入り、この地も荒廃の野となりしかば、文禄(一五九二−九六)の頃ここに
子孫移住すと云。
(植田孟縉「武蔵名勝図絵」片山迪夫校訂 慶友社)
この常盤塚は民有地内にあるが、拝見をお願いしたところご快諾いただいた。
往時は塚であったが、事情により塚を壊してして畑にしたため、植田孟縉が
書いた塚そのものは現在残っていない。現在見られるのは、明治以降に建て
られた墓碑とのこと。
正面(西向き)の刻字(□は不明字)は次の通り。
天正十八年庚寅年六月二十一日 元祖 廓□不昧居士之墓
天正18年6月21日は、豊臣軍の八王子城攻めの2日前。
「武蔵名勝図絵」との2日の隔たりは何を意味するのだろうか。