多氷屯倉碑 [戻る]
叶谷町西蓮寺の境内に「多氷屯倉遺□」という碑がある。
下部は地中に埋もれているが、おそらく「多氷屯倉遺跡」の文字が
あると思われる。
多氷屯倉とは、
『安閑天皇の朝に武蔵の国造の地位をめぐり笠原直使主(かさはらの
あたいおみ)と同小杵(おぎ)の同族間に衝突が起こり、前者は天皇国
家、後者は上毛野小君の旧豪族の援助を受けて戦争状態に陥り、勝
利した直使主が感謝と記念のため、その支配地の南部を割いてヤマト
政府に4か所の屯倉を献納した。』
(参考:佐藤幸太郎著『多摩歴史散歩』 昭和48年12月)
「多氷」は「多末」或いは「多米」の誤記で、「多摩の屯倉」を指すという
解釈がなされてきが、現在では「おおひ」と読み、「大井(現大田区)の
屯倉」と解釈されているという。
碑陰には、一九五五年 多摩地方史研究団体連合会 とあることから、
橋本義夫氏達により建てられた碑である。(橋本義夫著『砂漠に樹を』
に、「多氷の屯倉」の建碑の企画に関する記述がある。)
この碑の存在は橋本義夫氏のご家族の方から教えていただきました。