八王子の景色   困民党首領塩野倉之助之碑                                   [戻る]



困民党首領塩野倉之助之碑
 の文字を刻む大きな石碑は
犬目町・安養寺境内の山門横にある。
明治十年の西南戦争の戦費調達問題に端を発した緊縮財政政策は、
生糸などの暴落を招き、農民の生活を直撃したため、借金に苦しんだ
農民達は困民党として立ちあがっていったのだった。

明治十七年、唐松の豪農 塩野倉之助を中心に中野山王の子安神社
に集結した困民党の人々250余名は、八王子警察署長に直訴する。
しかし、塩野ら指導者は捕らえられ、投獄されてしまう。
義理人情に厚かった塩野倉之助は、困民党の人々に頼み込まれて、
事態を収拾すべく先頭に立ったのだろう。
しかし、この逮捕をきっかけに裕福であった塩野家は没落してしまう。

橋本義夫氏は、幼い頃、大人達が塩野の没落を囲炉裏端で笑い話に
しているのを聞き、怒りがこみ上げたという。
そして、人々のために貢献しながらも歴史に埋もれてしまった人を顕彰
するための建碑運動の一環としてこの碑の建設を決意する。
この碑を見る時、純粋な人の心が重なりあった結果であることを想う。

碑の裏面には、
明治17年困民のために起つ とある。