八王子の景色   関場記                                                                          [戻る]



上恩方の口留番所跡に『関場記』と題された大きな石碑がある。
口留番所は、周辺の住民が交替で往来を監視した番所であった。
「入鉄砲に出女」として、徳川幕府は幕藩体制の維持に気を配り、甲州
道中においては小仏関の任務であったが、その脇往還における監視は、
この高留と高尾山下の落合に口留番所を置いた。

関場記
人道をつくり道文を啓く天地の有情古今に理義普くあつまりて案下道の
名萬代に芳し古来武蔵相模甲斐三国をつなき山紫香う陣馬の峰うし
て案下醍醐の水明東流し魚魂翠巒にこたまして山渓自ら拓けるところ
要関を置く是れ留番所と稱し関場の地名を語り継ぐ 
(以下略)

       昭和三十一年十一月三日   佐藤 孝太郎 撰
                           中村   雄山 書

長文のため、全文の4分の1程だけ記載したが、佐藤孝太郎氏の
流麗で格調高い文章に読み入ってしまう。
番所が置かれていた事実は、「関場」という地名として残っているが、
その歴史的価値を高めてくれる石碑である。