三条実美歌碑 [戻る]
小仏峠はかつての甲州道中の難所であった。
旧甲州道が峠を越えようとするところに三条実美の歌碑が建っている。
三条実美は「七卿落ち」などで有名な幕末の急進派の公家であるが、
その人の歌碑がなぜここにあるのだろうか。
来てみれば蚕飼い機織りいとまなく
甲斐の旅路の 野のべ山の辺 実美
(碑面は万葉仮名風に記載されているが、現代仮名遣いで表記した)
参考:縣 敏夫『高尾山の記念碑・石仏』私家版
碑陰に建碑の趣旨が書かれている。
明治13年6月16日 東京を発った車駕は山梨県を巡るため八王子に
停まった。明日は板輿に乗られて小仏峠を越え、三条実美太政大臣
が従う。大臣は天皇の命により高尾山薬王院に参詣し、和歌を一首
御読みになり、石に刻んで不朽に伝えるという。
(碑面は漢文で記載されているが、訳文を記した)
参考:縣 敏夫『高尾山の記念碑・石仏』私家版
碑陰に建碑の趣旨が書かれている。
参考:縣 敏夫『高尾山の記念碑・石仏』私家版内 本山桂川訳 文
明治16年当時は鉄道が未開通であったために、天皇は板輿に乗り
この峠を越えられて山梨県を巡幸された。
その際に三条実美が薬王院で詠んだのがこの歌である。
隣には、『明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所』の碑が建つ。