奥津雁江墓 [戻る]
大義寺の墓地に一風変わった一画がある。
土の上に大きな自然石を重ねた独特な墓標は奥津雁江の墓であり、
墓石には文字が刻まれている。
奥津雁江の墓
明治から大正時代の教育者。
天保13年(1842)?〜大正7年(1918)
小学校以外の学校がほとんどない時代に私学校を設立し、多くの子弟
を育てた。
明治14年、本町に学校を設立。18年に元横山町に移転。30年の八王
子大火で全焼した後、34年に大横町に新築し斯文学院と改称した。
自然石の墓石には
「独笑のわらひの贅(ムダ)や石一とつ 残して帰る阿字不生国」
の辞世の句が刻まれている。独笑は雁江の別号。
斯文学院はその後、公立の小中学校が整備されていく中、
昭和10年頃に廃校となった。
(八王子事典の会「八王子事典」より)
私立学校を起し、八王子の教育を拓いたという偉大な業績。
富士森公園には門下生らが建てた「奥津雁江碑」がある。