万葉赤駒の碑 [戻る]
めじろ台の北に万葉公園があり、そこに公園の名の由来となった石碑が建つ。
碑の正面には
赤駒を 山野に放し
捕りかにて
多摩の横山
かしゆかやらむ
碑陰には、
この碑は七五五年武蔵野の片ほとりに住める主婦の作なり。 万葉集に収め
らる。この小碑は作者と同郷なる多くの人々の手によって多摩の横山にたつ。
一九五四年四月 東京多摩有志
とある。
『町村合併で八王子市と合併すれば南多摩郡横山村の名が失われる。この
横山の名を万葉の「赤駒の歌」で残せばと考えた。 (中略) 碑文は松井翠次
郎氏に頼み、詩として取り扱うようにと注文を付けたとのことである。碑の背面
の文は義夫の思いを語っている。』
(ふだん記雲の碑グループ「ふだん記−雲の碑 第20号
『雲の碑の表紙を飾った碑 [K.H]』 )
碑には「東京多摩有志」とあるが、橋本義夫氏立案し、実現させた
ものである。
橋本氏の建碑運動によって八王子とその周辺地域に残した石碑
は数多い。氏の業績から学ぶべきものも数多くある。