困民黨之碑 [戻る]
中野山王の子安神社は豊かな湧水があることで知られる。
その子安神社の境内に 困民黨之碑 の石碑が建っている。
碑にはと大きく書かれ、裏面には次のような文がある。
民衆史蹟 困民黨之碑 多摩北部困民党集結の地
明治十四年の松方デフレ政策により、農村は疲弊し、農民は
生活の途を失った。かれらは各地で困民党を結成し決起して
いった。
明治十七年九月五日 塩野倉之助 小池吉教を指導者とした
多摩の農民二百十余名は蓑笠をつけ、ここ西中野村子安明
神の森に結集した。
困民党はさらに武蔵相模の百五十箇村が結束し、武相困民党
へと大きく展開していった。
一九八五年一月 困民党の碑を建てる会
撰文 沼 謙吉
書 野島 恒久
明治十年の西南戦争の戦費調達問題に端を発した緊縮財政
政策は、生糸などの暴落を招き、農民の生活を直撃したため、
借金に苦しんだ農民達は困民党として立ちあがったのだった。
ここは困民党集結の地として八王子の歴史に刻まれている。