八王子の景色   絹の道                                   [戻る]



1858年、日米修好通商条約の調印により鎖国が終わる。
翌年に神奈川・長崎・箱館の3港が開かれ貿易が始まった。
このときの日本の主要な輸出品は生糸。
上州や信州などの生産地から八王子に集められた生糸は、
浜街道と呼ばれる道を通って横浜へと運ばれていった。

生糸を運んだ浜街道を『絹の道』と名付けたのは橋本義夫氏。
現代日本の黎明期に重要な役割を果たしたこの道を、
後世まで残そうと、橋本氏は『絹の道』碑を建設したのだ。

碑に彫られた文字は、
正面に、
絹の道
右面に、
鑓水商人記念
左面に、
日本蚕糸業史跡
そして碑陰には、
一九五七年四月 東京 多摩有志
とある。

この碑が建つのは、浜街道の最高地点である大塚山。
絹の道は碑の前を通って鑓水へと下っていく。
日本が鎖国を解き、近代国家へと変わろうとする時期に、
その経済を支えた輸出品は絹糸であった。
日本の近代国家化への変革を支えた絹糸の多くは、
この道通って運ばれていった。