雷松記念碑 [戻る]
昭和四十一年十一月吉日建立
越野 打越 境界基準雷松記念碑
北野
建設立会 八王子市打越町会
八王子市北野町会
こう記された記念碑が絹ヶ丘の街角に建っている。
碑陰にその由緒が記されている。
雷松の由緒 参百七拾六年前のもの
一、永年夏期に至れば雷の鳴るたび大木のため落雷するので住民
は いつとなくこの松を雷松と呼ぶようになった
一、紀元二、二五〇年六月二十三日落城の八王子城北條氏照の
臣下 大石某が最後をとげた松と並んでこの松は有名な松で
あった
一、明治三年六月北野村名主四郎右ェ門外七拾九名 打越村名主
久七外七拾名が横山村外六ヶ村立会で境界を円満解決した松
で ある
(一部省略して記載)
明治初期、打越・北野両村間で起きた「入会地騒動」の際、両村境界
の基準とされた松を記念する碑が昭和41年に建設されたのは、雷松
が宅地造成時に切り倒されたのを惜しんでという。
大石定久が自刃した後に葬られたという「手の平松」とともに、人々に
親しまれた木だったのだ。
(参考:とんとん健康散歩の会『とんとん健康さんぽ道 58回』)