芭蕉翁 蛙塚 [戻る]
散田町・真覚寺の池は蛙合戦の池として有名だ。
その池を見下ろす場所に自然石の碑が建っている。
碑の正面には、
芭蕉翁
蛙塚
碑側には、
延享二年
の文字が刻まれている。
延享2年は西暦では1745年。
芭蕉の「奥の細道」の旅は元禄2年(1689)年である。
八王子には芭蕉の系譜である「松原庵」があったが、
3世星布は延享2年には13歳位なので、建碑は不可能だ。
では、誰が何のために建てたのだろうか。
延享2年当時は、芭蕉の俳諧も人口に膾炙していただろう。
江戸と八王子は炭や織物など人や物資の交流もあった。
江戸文化が八王子にも流れ込み、余裕を楽しむ人々が
俳諧を嗜んだ、そんな影響から建てられたものと推測する。