八王子の景色   浄瑠璃姫の碑                                         [戻る]



長池伝説 〜浄瑠璃姫物語〜
今から七百年ほど前。
 武士が世の中を治めるようになって、日本中いたる所で戦が行われていた頃のお話です。
 相模国の大磯の海に三日三晩光り続ける不思議な場所があり、漁師が皆で引き上げて
みると、木でできた薬師如来という仏様の像が出てきたのでした。
 このお薬師様は、当時平塚の岡崎を治めていた岡崎四郎という武士の館に引き取られて
いきました。子宝に恵まれなかった四郎とその奥方は、毎晩子どもが授かるようお薬師さま
にお願いしました。すると、やがて二人の間にかわいい女の赤ちゃんが生まれたのでした。
四郎は、その子を『浄瑠璃姫(じょうるりひめ)と名付けました。
 成長した浄瑠璃姫が武蔵国の小山田(現 東京都町田市) を治めていた武士 小山田太郎
高家の元へ嫁ぐ際は、お薬師様も一緒にお連れしたのでした。
 二人はとても愛し合っていましたが幸せな日々は長くは続かず、夫の高家は戦に出かけ
て行き、自分の大将を守るために討ち死にしてしまいました。
 主を失った高家の家来は館を追われ、浄瑠璃姫もお薬師様を背負って、侍女十三人と共
に逃げまどいました。雑木林を歩き続け、ようやく長池という池までたどり着くと、浄瑠璃姫は
高家の後を追うようにお薬師様を抱いたまま池に身を投げて死んでしまったのでした。侍女
たちも姫の後に続き、次々と池に身を投げてしまいました。
 時が流れ、別所(現 東京都八王子市) の蓮生寺というお寺のお坊様が長池のほとりを歩
いていると、池の中に光るものを見つけました。引き上げてみると、それは浄瑠璃姫と一緒に
池に沈んだあのお薬師様でした。
 お坊様は、お薬師様を寺に持ち帰り大事にお祀りすると、長池に身を投げた浄瑠璃姫とそ
の侍女十三人が、安らかに眠ることができるよう、お祈りしたのでした。
■ 物語の元は静岡県岡崎に伝わる『浄瑠璃姫伝説』で、全国に似たようなお話がたくさん
  残っています。源義経と浄瑠璃姫の恋物語が姿を変え、全国に広がったといわれます。
■ 小山田太郎高家は実在の人物で、東京都町田市の大泉寺にお墓が残っています。
■ お話の薬師如来像(東京都重要文化財:秘仏)は蓮生寺の薬師堂に収められています。

(インターネットホームページ 『八王子市長池公園』より一部修正して転載)








別所・長池は浄瑠璃姫が身を投げたという伝説が残る。
浄瑠璃姫が輿入れをした小山田高家の小山田城跡である大泉寺
からも、そう遠くはない場所である。

「浄瑠璃姫の碑」の碑陰には、こんな説明がある。

長池伝説
昔、相州大磯の海面に光る薬師如来像を漁師が引き上げた。これ
を三河の国の城主岡崎四朗が譲り受け崇拝し、浄瑠璃姫が生まれ
た。彼女は武蔵の国の城主小山田太郎高家に輿入れする際、薬
師如来像を父から譲り受けた。しかし、延元元年に高家が討ち死に
したため、彼女も後を追い、薬師如来像を背負い侍女十三人と共
に長池に身を投げた。
その後、蓮生寺の住職が長池に光る薬師如来像を見つけ、薬師堂
を建て供養したということです。


上記のホームページの説明と比べると、かなり簡略なものになって
いるが、大きく違うのは浄瑠璃姫の父の居城が、「三河の岡崎」か、
「相模の岡崎」かということ。
ここは、武士団の関係や地理的要素から見ても、「相模の岡崎城」
とするのが妥当だと考える。
ちなみに、「相模の岡崎城」は、後に北条早雲が攻め落としている。

浄瑠璃姫が身を沈めたという長池は、今も静かに水を湛えている。