石坂昌孝之碑 [戻る]
富士森公園にある浅間神社の社殿近くに「放庵石坂君碑記」と
題する大型の石碑が建っている。
碑文はかなり長いものである。
「在野為代議士在朝為知縣事議論行於当世恵澤施於一方」で
碑文は始まる。
篆額は、海軍大将正二位勲一等功二級伯爵 樺山資紀
撰文は、第一高等学校教授正五位勲四等 塩谷時敏
石坂は多摩郡鶴川村に生まれて、才幹と努力で頭角を現して、
世に出た後、板垣退助の自由党への参加や、帝国議会議員を
経て群馬県知事となったことなどを記述して、その生涯を賞賛
している。
(参考:桑堂 山本正夫編著「多麻金石文」)
碑陰は
大正五年一月建之
發起人総代
森久保作造
村野常右衛門
石坂昌孝は明治時代の自由民権家で娘の美那子は北村透谷に
嫁している。
ところで、石坂昌孝の碑が、この富士森公園にあるのはどういった
経緯からなのか。
本来ならば、生まれ故郷の現町田市内に建てられるべきだろうが、
自由民権運動が盛んであった八王子とは、交友や往来があったで
あろうが、何か特別な事情がありそうに見える。