玉田院墓 [戻る]
松姫とともに甲斐から逃れてきた高遠城主仁科盛信の娘・小督
(後の玉田院)の墓が極楽寺の墓地にある。
東京都指定旧跡 玉田院墓
所在地 八王子市大横町七番一号 極楽寺内
指定 大正十四年五月
玉田院(一五七九?−一六〇八)は俗名を小督といい、天正十年
(一五八二)武田氏滅亡の折、高遠城で討死した仁科五郎盛信の
息女。松姫尼(武田信玄 六女)の姪に当る。小督は松姫尼と難を
逃れて八王子に来住。この地で養育されたが、やがて仏道に帰依
し、八王子奉行大久保長安に請い、元横山村大義寺の西隣の地
に一寺を建立、これを玉田院と称し、ここに住して「玉田禅尼」と称
せられた。慶長十三年七月二十九日病を得てこの地に没した。
時に年二十九歳であったという。最初墓は玉田院跡にあったが、
正徳五年(一七一五)七月、盛信の曽孫仁科資真が極楽寺に改葬
したものである。
昭和四十三年十月一日 東京都教育委員会
(東京都教育委員会の解説板より、(一部省略して記載))
没年からすると、玉田院は松姫尼公よりも早世している。
玉田院の悲報聴いた松姫尼公は何を思っただろうか。