幻境の碑 [戻る]
幻境 秋山國三郎
北村透谷 親交の地
北村透谷の名前だけは知っていたが、なぜ透谷の名前がここにある
のかは、碑陰の文章が教えてくれた。
ここ南多摩郡川口村字森下は明治の天才詩人北村透谷がわが希望
の故郷とよび秋山國三郎翁を慕い、四度訪れし幻境の地なり。
「わが幻境は彼あるによりて幻境なりしなり、世に知られず人に重んぜ
られざるも胸中に萬里の風月を蓄へ、綽綽餘生を養ふ。この老侠骨に
会はんとする我が得意はいかばかりなりしぞ。」(明治二十五年 透谷
「三日幻境」より)
竜子 秋山國三郎は多摩の名望家中屈指の文人なり。演芸、刀剣、
俳諧の道に通じ進取自由の思想を愛し、秋山文太郎、秋山林太郎、
小谷田元一、斉藤虎太、乙津良作、小野内蔵太、大矢正夫らを薫陶
してその志を伸ばしむ。義太夫の門人また百を下らず。その侠気、
高風、敬慕する者甚だ多し。よって後進相集い、永く翁の人徳を顕彰
せんとす。
昭和五十二年五月十五日
秋山國三郎顕彰会
撰文は色川大吉氏、揮毫は奥住忠一氏。
透谷は大矢正夫を介して森下に住む秋山國三郎と出逢う。
幻境の碑が建つのは上川町・森下の東部会館前だが、秋山国三郎
はこの近くで旅籠を営んでいた。
透谷はこの森下を3度訪れているが、3度目に来訪した際の様子を
「三日幻境」という美しい文章の短編にしている。