八王子の景色   日光神社(長房町)                     [戻る]



武蔵陵墓地の入口に近いところに日光神社が鎮座する。
日光神社は徳川家康を祀った神社だが、家康を祀る神社は、
八王子市内にも3か所程しかないと聞いたことがある。

日光神社(日光権現)の由来
約四百年程前、徳川家康に仕えていた鈴木九太夫正三(鈴木
正三)が、大阪夏の陣・冬の陣・関ヶ原の合戦で軍功を立て、
家康より御朱印の御軍令一軸、御家紋の錺太刀一振りを拝領
されました。
鈴木正三は四十二才で出家した後、中郷の郷士井上出羽が
万松山に建てた堅淑庵に招かれました。正三は石平道人と
号して仁王座禅を説き、二人比丘尼・假名草紙・因果物語など
の著作を残しました。
石平道人が所持していた御軍令・錺太刀を御神体として日光
権現(徳川家康)を現在の地に祀ったのが日光神社です。
(境内の由来書より)









武蔵名勝図会の長房村の項に次の記述がある。

日光権現
右同村。高尾山薬王院末、宝蔵寺境内の南寄りにあり。小祠
なり。ここに椎の古木五、六株ありて、陰森たる社地なり。この
祠あるゆえ、山号を日光山宝蔵寺と号す。勧請の由来は、石
平道人この地に庵室を経営せしころ勧請すと云。その謂われ
は、石平道人所持する台廟御朱印の御軍刀一軸幷に御紋付
の錺太刀一振の両品を御神体となし、東照宮を奉崇、その意
を以て御尊号は恐れありとて、日光大権現と祀りたり。右両品
を社内へ納め奉り、則ち宝蔵寺別当たりしかど、年を経て御宮
も零落しければ、神体の品を別当の寺へ納め置きける。
(植田孟縉著 片山迪夫校訂『武蔵名勝図会』)

拝殿が南向きに建てられているのは、日光東照宮の遥拝所
であったことから、北に向かって参拝するためか。