八王子の景色   霞神社                                       [戻る]


滝山城跡の本丸跡には加住村持ちの霞神社と滝村持ちの
金毘羅社と2つの神社が鎮座している。
霞神社は、屋根に千木や鰹木が見られる。

霞神社由緒
明治三十七八年戦後(日露戦争)に武勲を樹て散華された
英霊を奉斎せん為 明治四十五年五月一日當時の在郷軍人
會加住村分會の自唱によって 史蹟である北條氏照の居城
滝山城趾本丸跡を卜し 神社を創建して霞神社と稱した。
この時に奉斎の英霊は十五柱で 爾後毎年盛大な慰霊顕彰
の祭典が奉仕され來った 昭和の御代となり 満州事変 支那
事変及び大東亜戦争に出征し 戦功を挙げて戦歿された
壱百二十九柱の英霊を更に合祀して 今日に至った 今回
八王子合併を機とし 加住地區遺族會は發起して 設立され
た滝山霞神社銘碑建設協賛會によりここに碑を建て 霞神社
御祭神御芳名を録し その勲功を永久に傳へんとするもので
ある
   昭和三十三年四月祥日
            靖國神社権宮司 池田良八 謹撰并書







その地域から戦争に出征し戦没した人を慰霊する「忠魂碑」
はよく見られるが、神社を創建するという例は珍しい。
霞神社は、日露戦争以降に加住村から出征し戦死した人を
祀る加住地区の「招魂社」である
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