八王子の景色   信濃屋敷・刑部屋敷跡(旧解説板)              [戻る]


滝山城跡があり加住北丘陵の尾根道を東から歩いてくると、大きな空堀
に木橋が架かる場所がある。
この空堀は滝山城の外郭と内郭を分けるもので、敵をここからは入れさ
せないとする絶対防御地点である。

この木橋を越えた右側に続く一段高い曲輪が、東からカゾノ屋敷、刑部
屋敷、信濃屋敷である。
これらの家臣屋敷は、滝山城の東尾根から侵入しようとする敵に対する
備えである。

家臣屋敷群の曲輪の北は多摩川が侵食した断崖になっている。
多摩川の向こうを見ると拝島大師が見えるが、ここは永禄12年(1569)
武田信玄が滝山城を攻囲した際に本陣を置いたとされる。

信濃屋敷・刑部屋敷跡
城跡の曲輪は大まかに城郭の中心となる要害部と、それを取り巻く家臣
屋敷に分けられるが、この曲輪は後者である。南側に一段低く通路が設
けられ、曲輪内部は四っつに区分されている。
                                       東京都

(東京都の説明板【2012年3月に撤去】より)





家臣屋敷は丘陵の尾根にあるため、東西に長い。
北側は空堀(池跡の可能性も?)を巡らして、その先は多摩川に向かって
落ち込む険しい崖となっている。

また、曲輪の周囲には土塁跡が残っているが、東端のカゾノ屋敷の空堀
に面した絶対防御地点に残る土塁は良好に残っている。

各屋敷地は、仕切りの土塁で区画されており、カゾノ、刑部、信濃の順に
面積は広くなる。
この順序は身分の順でもあるのだろう。

信濃屋敷の名から連想されるのは大石信濃守であり、大石氏は北条氏照
を養子として、後に北条家臣に組み込まれている。