丁石(三拾六丁目) [戻る]
登山道1号路の起点には道標や石碑などの石造物が所狭しと
立ち並んでいる。
大きな道標の陰になって見づらいが、ここに三十六丁の終点を
示す丁石がある。
丁石には三十六丁目を示す記載は無く、文章が書かれている。
熊谷縣本庄驛町田梅太郎往年失其長子也
憂愁爲病數年其妻祈當山不動明王
以得痊矣於是欲謝其恩祈其子冥福
與其夫謀建此三十六童子像碑且記路程
以代遠遊香客之引路標云爾
明治九年六月 高尾山二十三世住職
權中講義高尾秀融職
(碑陰)
東京浅草松山町 石工橋本權助
(縣 敏夫「尾山の記念碑・石仏」より)
碑文に依ると、「熊谷在住の町田梅太郎氏が長子を失い、その
悲しみに数年間病気になってしまった。そこで梅太郎氏の妻が
高尾山の不動明王に祈ったところ、病は癒えたので、その恩に
感謝するため、三十六童子と路程を記した碑を建て、参拝者の
利便に供しようとした」というとこだろうか。
町田梅太郎氏は、一丁目の丁石にその名を刻み、三丁目には
長女の名が、五丁目の丁石には三女の名を残している。