富士浅間神社 [戻る]
江戸時代の高尾山の絵図を見ると、富士浅間神社の先は何も
なく、参道もここで終わっている。
現在では、富士浅間神社の横を抜けて高尾山山頂までの登山道
が通っているが、当時は、ここが高尾山の最奥部であった。
富士浅間神社
一間社流れ造り。正面に千鳥破風、軒唐破風の向拝を付している。
天文年間(1532〜55)に勧請したと伝えられています。
木花咲耶姫命を祀り、富士山本宮浅間大社を総本山とする神社。
(高尾パークボランティア会「2012高尾山の歴史と自然見て歩き」
パンフレット より)
文化文政時代の江戸では、江戸八百八講、講中八万人といわれた
ほどに富士講が出来て、富士山登頂がブームとなりました。
しかし、富士山まで行けない人々もいたため、各地に富士塚が造ら
れてそこから富士山を遥拝しました。
この富士浅間神社も、富士山の方向に向かって富士詣でを遥拝
するために設けられたものです。
(参考:前記パンフレット)
富士山の方向は木々に覆われて眺望がないが、ここから富士山
を望むことはできないのではないか。
見える見えないよりも、富士山に向かって参拝することが大事で
あったのだろう。