八王子の景色   隣人学園                              [戻る]


高尾駅前から甲州街道を西に進むと、小名路という地区に入る。小説家の中里介山は、
ここで「隣人学園」を開き、地域の人々と交流していたという。

紙名「隣人学園について
皆さんがお読みになっているこの広報誌のタイトルがどうして「隣人学園」になったのか
についてお話しします。
この「隣人学園」という題名は、あの長編小説・大菩薩峠の著者である中里介山が、1921
年浅川に開いた私設塾の名前から戴いたものです。
[中里介山]・・1885年(明治18)4月28日〜1944年(昭和19)4月4日。羽村生まれ、
本名弥之助。小学校教員の後、都新聞入社。キリスト教から社会主義へ進み、平民新聞
に寄稿。その後1921年(大正10)高尾山麓に移住、現ケーブル清滝駅奥・前の沢沿い
にあった佐藤旅館に寄宿して「大菩薩峠」を執筆。高尾の自然が気に入った介山は翌年、
前の沢の上流妙音谷(現高尾保養院奥)に草庵を結び執筆活動を続け、ここで「阿波の
国の巻」「小名路の巻」を書き上げました。
この間、西浅川の金南寺奥の私邸を借り受け、子供を中心に青年も含む地域の人々を
対象に開いていたコミュニティー施設を「隣人学園」と命名し、教育目標に「敬天、愛人、
克己」を掲げ、浅川地区の文化の発展に大きな足跡を残しました。
1986年、地域の広報誌創刊に当たり、氏の思いを引き継ぎ、この由緒ある名前を紙名
にしました。

(浅川地区住民協議会広報誌[第65号] 『隣人学園』 より)







ところで、八王子事典には次のような記述がある。

隣人学園
1880年(明治12)2月16日。作家中里介山が創立した私設教室。場所は
小名路の花屋
旅館があてられた。この付近の人たちを集めて、講話や読書会を行ったという。学園の教
育目標に「敬天、愛人、克己」が定められていた。

八王子事典の会「八王子事典」より)
(注)「1880年(明治12)」は中里介山の出生以前であり、間違いであろう。

広報紙によると「金南寺奥の私邸を借り受け」とあるが、八王子事典では「花屋旅館があて
られた」となっている。
花屋旅館は、この写真の旅館(現在は廃業)で、甲州街道の「両界橋」際に建っている。
旅館の裏は南浅川が流れ、「古淵」という景勝地である。