八王子の景色   戸吹町会館(旧 明化学校)                                          [戻る]


戸吹町・赤い鐘楼山門で知られる桂福寺の門前に「戸吹町会館」の
札が掲げられた建物がある。
板張りの建物は、普通の町内会館のように見えるが、東側を見ると
ちょっと変わった造作がある。
緩くカーブを描く入口の屋根、ガラスがはめ込まれた木の扉は屋根
と合わせるかのように上部がアーチを描いている
この建物は、明治初めに造られた「明化学校」の校舎である。

戸吹町にある桂福寺の山門の前に木造二階建ての目立たない家屋
がある。正面入口あたりの様子は一見、古めかしさの中にどことなく
モダンな印象を与える。これが明治9年(1876)に建てられた「明化
学校」の校舎である。
当時、門柱を繋ぐ鉄棒の中央にガス灯が取り付けてあり、アーチ型
の玄関ドアの上には「明化」と記した校名額が掲げてあった。この額
は時の神奈川県令野村靖の筆になるもので今も保管されている。
「明化」の文字には近代日本の夜明けの象徴と、新しい時代に希望
をかける地元住民の願いがこめられているように見える。

(八王子市郷土資料館「解説シート」より)








「明化学校」は明治9年3月、戸吹村北開戸84番地に校舎新築、12
月に完成している。文明開化のイメージを伴う「明化」の校名はその後、
明化小学校、明化尋常小学校等と受け継がれてきたが明治26年(18
93)神奈川県から東京府へ編入するとともに消えた。この年より「第二
加住尋常小学校」に改められたのである。
校舎はその後、増改築もされたが大正5年(1917)加住村の学校統合
により「戸吹分教場」となった。更に同12年(1923)校舎増築の際、
取り壊しの運命に見舞われたが、地元の人達の母校でもあるので戸吹
青年団が中心となって建物の払い下げを受け、現在の場所に移した。
その後、地区の会館として長く利用され、今日なお一世紀前の開花様
式の面影を留めて、訪ねくる人々に遠くなった明治の歴史を偲ばせて
くれる。

(八王子市郷土資料館「解説シート」より)

このような歴史ある建物が、町会の会館として利用されているのは、
とてもいいことだと思う。
建物は、人が使うことで長持ちする。逆に言えば、使わなければすぐ
ダメになってしまう。
内部を公開していただけるといいのだが。