八王子の景色   鍛冶屋敷                                          [戻る]



「鍛冶屋敷」という珍しい名のバス停。

鍛冶屋敷の「鍛冶」とは刀鍛冶のことで、その歴史は古い。

室町時代から戦国時代へと移る時期。
それまで武相を舞台に18年にわたり合戦を繰り返し続けていた山内上杉
氏と扇谷上杉氏が和睦し、永享の乱が集結する。

戦いに勝った山内上杉氏は武蔵守護代に大石氏を任じていた。
この時、大石氏の居城は浄福寺城であったと考えられ、城主の大石氏は、
周重という刀匠を浄福寺城下・辺名に招いて鍛刀を始めさせた。

時代は移り、領主は大石氏から後北条氏へ、居城も(高月城?)、滝山城、
八王子へと移り、刀工の一族は分家が増えて辺名から下原へと移り住み、
さらに横川、慈眼寺へと広がっている。










「鍛冶屋敷」のバス停名は、この付近に下原鍛冶があったことに由来する
もので、甲野勇氏の名著である『武蔵野を掘る』にその様子が載っている。


中央線八王子駅北口から城山行きバスにのって約二十分、鍛冶屋敷
いう停留所で下車、畑中の細道を北にゆくと、その突きあたりに畑を前に
したささやかな農家がある。ここは戦国時代末期から江戸時代にかけて、
数多くの名高い名匠をだした下原鍛冶の一族、山本氏の屋敷でもある。
(中略)
江戸時代にはあたり一帯の小名を鍛冶屋村とよんでいた。

(甲野勇『武蔵野を掘る』より)

武州下原鍛冶は江戸時代も続いており、中興の人といわれる
武蔵太郎安国はこの鍛冶屋敷の人で、享保四年に将軍吉宗
の上覧鍛冶を務めるという大きな功績を残している。