長池見附橋 [戻る]
四ツ谷駅の上に架かっていた四ツ谷見附橋は、新しい橋への架け替えに伴い、
長池公園に移されて、名前も長池見附橋と変えた。
移築によって生まれ変わった煉瓦と鋼鉄の橋は、公園の景観の一部として大き
な存在感がある。
橋のたもとには「長池見附橋」と記された大きな石碑がある。
長池見附橋は、都内に架かっていた四谷見附橋を移設再建した橋梁です。
四谷見附橋は、一九一三年(大正二年)九月に竣工し、文明開化時の面影が
偲ばれる橋梁として多くの人々に親しまれてきました。
長池見附橋本体のうち、高欄や橋燈等の装飾品は、創建当時の姿を復元し、
橋台部も当時と同じ花崗岩と煉瓦によって仕上げ、橋梁全体をネオ・バロック
調の景観として再現しています。
この貴重な文化遺産が、これからも末永く市民の生活に潤いと豊かさをもたら
し、多くの人々に親しまれていくことを願い、ここに再建しました。
平成五年十一月
東京都
八王子市
住宅・都市整備公団 南多摩開発局
(石碑裏面の解説文より)
四谷見附橋の由来
四谷見附橋は、1913年(大正2年)9月に、都内四ツ谷駅直上に竣工した上路
式鋼製アーチ橋です
この頃の日本の橋梁技術は、近代橋梁建築の黎明期をすぎ、自らの力で歩み
始めた時代で、周辺環境との調和に配慮した設計がなされ始めた頃でした
この当時の橋梁で現存するものは数少なく、四谷見附橋は都内では日本橋と
共に、文明開化時の面影を偲ぶことのできる貴重な橋梁となっていました
高欄や橋灯、及び橋名板などは、隣接した迎賓館とデザイン的に対応させた
ネオ・バロック様式の装飾が施され、周辺環境との調和を配慮した設計で、文化
的価値の高い橋梁となっていました。技術的にも非常に高く評価でき、その当時
の設計・施工技術は現在でも十分に使用に耐え得るほどで、我国近代橋梁の
道標となっていたものです
1993年11月 東京都
八王子市
住宅・都市整備公団 南多摩開発局
(長池見附橋下の構造体保存展示スペースの説明板より一部省略して記載)
橋の周辺に電柱などはなく、日本の街とは思えないような景観が広がっている。