八王子の景色   萩原橋                                                                 [戻る]


秋川街道が浅川を渡る地点に架かる萩原橋。
緑色の橋と背の高い街灯が美しい橋だが、手すりに付けられたデザインの
「蚕と桑の葉」、「糸車」、「機織りをする女性」などは、この橋独特のもの。

萩原橋の名前は「萩原彦七」という人物の名に由来する。

萩原彦七 製糸家
明治9年(1876)、西中野(現中野上町・日本機械工業の場所)に機械製糸
工場を設立。明治33年(1900)に私財を投げうって浅川にかかる萩原橋の
建設を行うが、同年の生糸恐慌で大きな打撃を受け、その後没落。

(八王子市教育委員会の案内板より)

有志で橋を架橋しようと約250人から集めた寄付金が、一部の不心得者に
よって使い込まれたため総工費1万3千余円の殆どを萩原が負担し、明治
33年1月、、延長約113m、幅員約4.5mの木橋が完成したが、橋の名前
は最大の功労者萩原彦七の名をとって「萩原橋」と名付けられた。
(参考:清水正之『「八王子 中野町わが街』)











萩原橋
中野上町と元本郷街町を結び、秋川街道が浅川を渡る橋。
明治34年(1901)木造の橋が架けられました。大正12年(1923)、昭和6
年(1931)と架け替えられ、平成2年(1990)現在の橋になりました。
現在の橋の親柱やガス灯のような照明に、この橋が生まれた明治の時代を
感じさせます。
また、橋が丸みのある太鼓橋になっているのも特徴です。これは、河川の
条件を考え橋脚の数を減らしたために橋桁が高くなり、対岸との整合性を
図るためにこの形になったものです。
長さ昭和6年(1923)120.0m、幅15.8m
(八王子市中央図書館『八王子こどもレファレンスシート 浅川の橋めぐり』)
より