八王子の景色   「明治の道」                                                  [戻る]


陣馬街道の神戸(ごうど)のバス停の少し東から、陣馬街道と分かれて
登り坂になる道がある。舗装された道はすぐに土の道に変わり、日枝神
社を右に見ながら、丘陵の裾を巻くように道は進んでいく。
この道は、明治時代に切り開かれた道である。
それまでの道は、「佐野川往還」や「案下道」と呼ばれる街道で、神戸の
バス停の先から右へ曲がり、北浅川を渉っていた。

よみがえる明治の道
二分方町神戸(元八王子)から都道とわかれ、南側の丘陵のすそを通
り西寺方町小田野(恩方)で再び都道に交わる一すじの細い道がある。
距離はせいぜい六〜七百メートル。この道、明治17年の築造。それま
では、もっと山の中の急な道か、北を流れる浅川を渡って往来した。
不便だからと、土地の人たちが時の神奈川県令に嘆願し、土地も労力も
提供してつくったという血と汗の道である。だが、大正十二年、神戸の切
通し(現都道)ができたことで忘れ去られた。
以来八十七年、いま都道は車のラッシュ。危険だからと、土地の人々は
都道をさけて、また、この道を通る。自分たちの手で補修までして。
明治の道は、またよみがえってきた。

(東京都八王子市「ふるさと八王子」より)







左から下ってきた丘陵の先端にある日枝神社の手前を切り通して造っ
たのが明治の道である。

この坂を登りきると道は水平になり、右下に住宅を見ながら丘陵に沿っ
て進み、しばらくは「明治の道」の面影が感じられる。
やがて、道は住宅が立ち並ぶ舗装路になり、曲がったり、折れたりしな
がら小田野方面へと向かう。
途中には、石仏が点在し、恩方方面の見晴しがいい。

中村雨紅が「夕焼け小焼け」の詩を考えたという『夕焼け小焼け作詞の
みち』という石碑が、この「明治の道」にある。