源頼朝の墓 [戻る]
文治元年(1185)に平家一門を壇ノ浦に滅ぼして鎌倉幕府
を創設した源頼朝だが、正治元年(1199)急死する。
落馬が原因といわれているが、吾妻鑑にのみ記載されている
ことでもあり、真実と信じてよいとは断言できない。
その頼朝の墓が大蔵幕府跡北側の山腹にある。
法華堂跡
堂はモト頼朝ノ持拂ヲ祀レル所ニシテ頼朝ノ薨後其ノ廟所ト
ナル建保五年五月和田義盛叛シテ火ヲ幕府ニ放テル時将軍
實朝ノ難ヲ避ケタルハ此ノ處ナリ寶治元年六月五日三浦泰村
此ニ籠リテ北條ノ軍ヲ邀ヘ刀折レ矢盡キテ一族郎党五百余
人ト偕ニ自盡シ滿庭朱殷ニ染メシ處トス
大正十三年三月建 鎌倉町青年團
日本の歴史を大きく転換させて、武家政権を樹立した人物の
墓としては簡素な墓だという印象を感じた。
ここを訪れる観光客は思いの外多く、人の姿が途絶えること
はなかった。
この五輪塔が頼朝の墓である。