八王子の景色   大蔵幕府旧蹟                              [戻る]



鶴岡八幡宮の流鏑馬道を東に進み、住宅や学校の間を折れ
ながら進むと、清泉小学校の角に立つのが大蔵幕府旧蹟の
石碑である。

大藏幕府舊蹟
今ヲ距ル七百三十七年ノ昔治承四年源頼朝邸ヲ此ノ地ニ營
ミ後覇権ヲ握ルニ及ビテ政ヲ此ノ邸中ニ聴ク所謂大藏幕府
是カリ爾来頼家實朝ヲ経テ嘉禄元年政子薨ジ幕府ノ宇都宮
辻ニ遷レルマデコノ地ガ覇府ノ中心タリシコト實ニ四十六年
間ナリ
     大正六年三月建之           鎌倉町青年會


石碑にはこのように書かれている。

頼朝が造った幕府の跡は、ほぼこの清泉小学校の敷地に
重なるというが、その痕跡と呼べるものは何も残っていない。



















鎌倉時代の「幕府」は、江戸時代の統治機構としての「幕府」
とは異なり、将軍の住まいを指す言葉。
ここは頼朝が居を構え、政を行っていた場所である。

「大蔵幕府」という名称は、鎌倉時代を通じて幕府が「大蔵」、
「宇都宮辻子」、そして「若宮大路」へと3か所に置かれた経緯
があるためである。

清泉小学校の外柵の歩道側に向けて、清泉小学校史跡委員
が作った周辺の史跡解説が掲示されている。
「大蔵幕府旧蹟」「大塔宮 鎌倉宮」「永福寺跡」などの説明は
しっかりとした内容で散策のガイドにもなる。

大蔵幕府跡の北には、白幡神社や法華堂跡(頼朝墓)など
の史跡がある。