八王子の景色   日蓮聖人辻説法之阯                                 [戻る]



鶴岡八幡宮の二の鳥居から東に行くと小町大路に突き当たる。
そこから少し北に行くと日蓮聖人辻説法之阯の石碑がある。


日蓮聖人辻説法之阯
此邊ハ往時ニ於ケル屋敷町ト商家町トノ境ヲナス地點ニ
位シ幕府ニ近キコトトテ殷賑ヲ極メシ所ナリ建長五年五月
日蓮聖人房州ヨリ鎌倉ニ来リ松葉ヶ谷ニ草庵ヲ結ビ日ニ
日ニ此邊リノ路傍ニ立テ弘通ノ為民衆ニ對シ獅子吼ヲ續ケ
シ阯ナリトテ世ニ辻説法ノ舊蹟ト傳ヘラル
   昭和十一年三月建           鎌倉町青年團

故郷安房の地で、法華経の優位性を説いて他宗派からの反発を
受けて追放された日蓮は、ここ鎌倉に居を構えて布教活動に力を
入れる。
このとき、日蓮が説法を行ったのがこの地である。

日蓮の説法は、頻発する天変地異に不安を覚えた武士や町人の
共感を得て次第に信者を増やしていった。

しかし、その後『立正安国論』を幕府に提出したことにより弾圧を
受け、伊豆に流罪となってしまうのである。
















日蓮上人辻説法跡
日蓮上人は建長五年(一二五三)、安房(千葉県)から鎌倉に
来て、松葉ヶ谷(現在の長勝寺、安国論寺の辺り)に草庵を
結びました。
鎌倉時代、この辺りは武士の屋敷と商家町が混在した地域と
考えられ、毎日のようにこの辺りを訪れて、法華経の功徳を
説く辻説法を行ったと伝えられます。
文応元年(一二六〇)、五代執権北条時頼に提出した『立正
安国論』が原因で、松葉ヶ谷の草庵は焼き討ちされました。
                               鎌倉市
(同地に立つ説明板より)