八王子の景色   元八幡(由比若宮)                                  [戻る]



「空から日本を見てみよう」は、くもじいとくもみが町を上空から見下ろして
おしゃべりするというテレビ番組で、私の好きな番組のひとつ。
その番組の「鎌倉」の紹介の回に鎌倉駅の南東に、「鶴岡八幡宮の旧地」
のような表現で由比若宮が紹介された。

「鶴岡八幡宮が移転した?」というのは初耳。調べてみるとそれは事実で、
東鑑にもその記述があった。
これは鎌倉に行って見てみたいと思ったが、ようやく半年以上経ってから
訪問することができた。


元八幡
鶴岡八幡宮ハ東鑑ニ本社ハ伊豫守源頼義勅ヲ奉シテ安倍ノ貞任征伐ノ
時丹祈ノ■有テ康平六年秋八月潜ニ石清水八幡宮ヲ勸請シ瑞垣ヲ當国
由比郷ニ建ツ永保元年二月陸奥守義家修復ヲ加フトアルハ即此處ニシテ
鶴ヶ丘トハ昔時此地ヲ呼ヒタルナラム其後治承四年十月十二日源頼朝
祖宗ヲ崇メン為小林ノ郷北ノ山ヲ点シテ宮ノ廟ヲ構ヘ由比ノ若宮ヲ此處ニ
遷シ奉ル之レ現時ノ八幡宮ニテ東鑑ニ治承四年十月七日頼朝先ツ遥ニ
鶴ヶ岡八幡宮ヲ拜シ奉ルトアルハ由比ヶ濱ノ宮ナリ遷宮ノ後モ鶴ヶ岡八幡
宮ト云ヒシハ舊称ニ従ヘルナリ爾来此處ヲ元八幡ト称ス
     昭和三年三月建之              鎌倉町青年團
(■は該当する文字が探せなかった一字:「上」の下に「日」を書く)

境内に建つ石碑には、このように記されている。




赤く塗られた鳥居を潜ると、きれいに掃き清められた境内は凛とした空気。
石畳を進んで、威厳を感じる社殿に正対して参拝。

「源氏ゆかりの鎌倉」という言葉がある。聞き慣れていた言葉だったので、
何の疑問ももっていなかったが、上記の碑文を読んでみて調べてみた。

まず、「東国の源氏、西国の平氏」と漠然としたイメージが間違っていた。
「東国の平氏、西国の源氏」と考えなければならない。
長元元年(1028)上総で起きた平忠常の乱の平定に向かった平直方は
討伐に失敗、代わりに選ばれた摂津源氏の源頼信が平定を遂げる。
平直方は頼信の息子頼義に娘を娶せ、鎌倉大蔵の屋敷も譲ったのが、
源氏の東国進出と鎌倉との縁の始まりとなる。

陸奥で起こった前九年の合戦で、頼義は子の義家とともに安倍氏と戦い、
清原氏の援けを得て勝利、戦勝祈願をしていた京の石清水八幡宮を
勧請したのが康平6年(1063)である。

治承4年(1180)、頼朝はこの鶴岡由比若宮を小林郷北山に遷座して、
「鶴岡八幡宮」としたため、ここは「元八幡」と呼ばれるようになった。

遷座の際に、由比若宮の古い御神体を頼朝から譲り受けた梶原景時が、
知行地に八幡宮を建てて祀ったのが元八王子町の梶原八幡宮である。