八王子の景色   総構                                         [戻る]


国指定史跡小田原城 総構
この場所は小田原城の土塁と空堀の跡よく残されていることから、
貴重な国民的財産として後世に伝えるために昭和13年に国の史跡
に指定されました。
この土塁と空堀は、天正18年の豊臣秀吉との合戦に備えて、小田原
北条氏によって造られたもので、「総構え」と呼ばれています。
当時の小田原城は、城下全体と周囲の丘陵や海岸線を、延長9キロ
メートルに及ぶ土塁と空堀で城の内に取り込みましたが、これによって
戦国時代としては我が国最大の城域を誇ることとなりました。
現在、この総構の遺構を良好に残している場所は少なく、中でもこの
付近には丘陵の斜面に掘られた空堀と、それに沿って造られた掻上げ
と呼ばれる土手の跡がよく残されており、当時の城造りの様子が大変
よく分かる貴重な場所であることから、小田原市では、できるだけ現状
の地形を保存されるよう関係者の皆様に御協力をお願いしております。
                          小田原市教育委員会
                           学校法人 関東学院


谷津丘陵から眼下に帝京大学のキャンパスを見下ろす場所に
このような説明板があり、周囲の丘陵を観察してみると、後北条氏が
築いた総構の名残が見てとれる。
畑などに利用されている階段状の崖は、かつての空堀や土塁の名残。
総構は、全長約9kmにわたり小田原の町ごと囲い込んでしまった。