八王子の景色   八幡山古郭東曲輪                           [戻る]


小田原城といえば、水掘に囲まれたあの大きな天守閣が頭に浮かんでしまう。
だが、北条早雲、いや伊勢新九郎盛時が大森氏から奪い取った頃の小田原城は、
現在の小田原城の北側のある丘陵地にあった。
小田原高校が建つこの丘陵は「八幡山」と呼ばれており、この地にあった小田原
古城を「八幡山古郭」と呼ぶ。(左写真:古郭東曲輪から見る小田原城)

国指定史跡小田原城跡
     八幡山古郭東曲輪(はちまんやまこかく ひがしくるわ)
                                  指定 平成18年1月26日
東曲輪は八幡山古郭の東寄りに位置します。平成17年(2005)に行われた発掘
調査では、16世紀代の半地下式の倉庫等と考えられる方形竪穴状遺構や掘立柱
建物跡が発見されたことから、戦国時代にはこうした施設を伴う曲輪のひとつで
あったと考えられます。また縄文時代の土器や石鏃が出土したほか、古墳時代の
方形周溝墓も発見されたことなどから、八幡山一帯では古くから人々の生活が
行われていたことがわかりました。
東曲輪からは、西方に天正18年(1590)の小田原合戦の時に豊臣秀吉が本陣を
据えた石垣山一夜城を望むことができます。
さらに東には、天守閣を中心に周囲に広がる小田原城下を望むことができるなど、
小田原合戦の歴史の舞台や城と城下町の様子を通して、戦国時代や江戸時代の
小田原城の歴史を知る上で大変貴重な場所といえます。
この土地は市民の熱意や関係者の理解と協力のもとに小田原市が取得し、国の
史跡として将来にわたって保存されることとなりました。
                                   小田原市教育委員会
(小田原市教育委員会の説明板より)



【上】
東曲輪から見る小田原城天守閣は指呼の間。



【左】
八幡山古郭東曲輪からは小田原市内や小田原の海を見渡せる。
現在はこの芝生の部分だけが公開されているが、古郭は左の繁み小田原高校
方面へと長く続いている。



【下】
小田原城天守閣から八幡山古郭東曲輪方面をパノラマ撮影した景色。
右端の丘陵の切岸の上が東曲輪、その後方へと八幡山古郭が続く。
「箱根」の表示板の上方、鉄塔が見えるのが石垣山一夜城の笠懸山。
中央後方には遠く箱根の山々が見える。