八王子の景色   北條稲荷                               [戻る]


小田原駅から見ると東南の方角、相模湾に臨む浜町4丁目に
北條稲荷という神社がある。
北條稲荷は、その名で判る通り小田原城の城主であった
後北条市ゆかりの神社である。

北條稲荷神社復興記念碑
當社はもと北條氏が小田原城内に勧請して篤く崇信するところ
であったが後更に移してこの地に奉祀し城池の鎮護と市民の
永安を祈願せしめて以来既に星霜四百年を経て神威いよいよ
高く霊験ますます灼かな名社である
偶に昭和二十六年十一月二十八日の古新宿大火の際社殿も
悉皆祝融に遇うよって氏子有志發起して復興募金を計り幸に
大方の協力を得て昭和和三十年二月一日社殿竣工して面目
を?(文字不明)に復するを得た
復興成るを記念してここに由来をしるして石に刻む
                        中野敬次郎選文(ママ)










豊臣秀吉の関東進出に備え、小田原は当時最大といわれる
周囲約9kmの総構によって、町を丸ごと取り込んだ城郭都市を
形成し、この総構の東側は土塁(連上院土塁がわずかに残る)
とその外側に広がる蓮池(湿地帯)を防御線としていた。

北條稲荷の境内および隣接する公園は、東西に長い三角形
の形をしている。
ここは、総構の東南の出入口である「山王口」の遺構であり、
当時はここに土塁が築かれ、稲荷社の前を通る道路はクランク
する通路の名残りであり、鳥居が立つあたりは内枡形の名残り
の地形と推測できる。