八王子の景色   日本再建の三大恩人(2) 摩訶薩元帥     [戻る]


コーンパイプを手にして、厚木飛行場に着陸した飛行機の
タラップを降りる姿は、無条件降伏を受け入れた日本が
連合国の占領下に入ったことを知らしめた。

摩訶薩元帥
’四五(昭和廿)年八月丗日、連合国代表占領軍総司令官
諾楽摩訶薩元帥、厚木に飛来。午後二時〇五分、コーン
パイプを手に丸腰でタラップ下りる姿見て、生き残り日本人
はホッと安堵の胸撫で下ろす。
爾来(それより)七年。天皇、政府、官民悉く元帥の命の下
に生きる。昨日の敵が今日飢餓に瀕しているを見て、同じく
窮乏の本国より物資食料取り寄せて、元帥は一億餓死を
救ってくれた。農家は米を隠したが、民家は摩訶薩給与で
生き延びて「摩訶薩は神様だ。」と合掌した。まさに菩薩摩
訶薩(ボーサーマッカーサー)である。
足利正明創立の孤児院(村長の反対で閉鎖)、養老院、
保育園、老幼すべて米国食料で命を繋いだ。元帥帰国を
知り日本民衆は皆泣いた。

ダグラスマッカーサーは、太平洋戦争初期、アメリカ軍の
極東司令官としてフィリピンに駐屯していたが、日本軍の
侵攻を受けて、オーストラリアに撤退した。その際の決意
『I shall return.』をGHQの総司令官となって実現した
ことは彼の意思の強さを物語っている。