梅ノ木平道標 [戻る]
縣敏夫氏から頂いた島田実氏作成 「資料 八王子交通関係銘文集」
に記載してある道しるべを探しに行った。
手がかりは「榎窪川上流」の「地蔵尊」。
初詣客でにぎわう高尾山口を過ぎ、すっかり景観が変わった高尾山
インターを抜けると、次第に山里の景色に変わっていく。
うかい竹亭から福寿園へと向かう道は、10数年前に津久井湖からの
山歩きで下山に使った道で、道標はこの道沿いにあると思われる。
榎窪川と道が交差する橋の奥に分岐があり、石造物が見える。
近づいてみると、「地蔵尊」と文字が書かれた石塔(文字の地蔵尊も
珍しい)があり、その左右に
右 三井道
左 大山道
の文字が刻まれている。
向かって左側面には
久保沢へ壱り半
子安へ九里
施主 栗原ふみ
とある。
子安とは、9里という距離からみて、横浜に近くの子安を指すのだろう
が、ここから子安を指し示すのは何故だろうか。
薬王院の広庭にある道しるべにも、大山道とともに子安の文字があり、
江のしま道・藤沢の文字もある。
講を組んで大山に参詣する江戸の人々は、大山に詣でた後に江の島
にも参詣したという。
では、この道標はこの地域から、あるいは高尾山参詣した後に大山
に行く人々のために建てられたと解していいのだろうか。