八王子の景色   水原秋桜子句碑(2)                                [戻る]



冬菊のまとふはおのがひかりのみ
 秋桜子


暁町・名綱神社の境内に水原秋桜子の句碑が建っている。
側碑にはこの碑の経緯が記されている。

水原秋桜子第十三番句碑
「冬菊をまとふはおのがひかりのみ」
水原秋桜子先生は、昭和二十三年(一九四八年)八王子安土
(現在暁町)に住んでおりました。
水原邸の隣接地で畑仕事をしていた新井常之丞は先生と親しく
させて頂き、娘新井英子(馬酔木同人)邸に句碑建立の計らいを
頂きましたが、私邸に建立のため多数の皆様に接して頂くこと叶
わず今回町会の皆様に了解頂き名綱神社に移設となりました。
                  二〇〇六年五月
                          新井欽一郎 記す











碑には「冬菊の」とあり、側碑には「冬菊を」とある。
一文字の違いだが俳句の中では大きな差になる。
インターネットで調べると、「冬菊の」が正しいということが判った。


また、水原秋桜子氏について調べてみた。

水原秋桜子
1892年(明治25)〜1981年(昭和56)10月9日。俳人、医師。
東京生まれ。本名豊。東大医学部卒。家業の産婦人科病院経営、
昭和医大教授。
1919年(大正8)松根東洋城に俳句を、窪田空穂に短歌を学ぶ。
「ホトトギス」で活躍、のち28年(昭和3)「馬酔木」主宰、俳句への
人間感情の導入を主張。
45年戦災で自宅と病院を失い、八王子市中野町に疎開。9年余り
居住後西荻窪に転居。
57年名綱神社に東京八南理容師会により句碑が建てられる。
「遠つ世よりつたえしわざをまつる秋」。
64年高尾山に「仏法僧巴と翔ける杉の鉾」の句碑建つ。

(八王子事典の会「八王子事典」より)

秋桜子は、太平洋戦争末期に八王子に疎開し、9年余りも八王子で
過ごした人であった。