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開運燈籠
子安村の興林寺には、大久保家ゆかりの石燈籠が納まっておった。
いい伝えでは、石見守長安さまが、佐渡金山奉行のおり、上杉謙信
公の愛蔵の石燈籠を、手にいれたということじゃった。
大久保家が、慶長十九年(一六一四)に、おとがめを受けて断絶に
なったあと、興林寺では将軍家のご威光をはばかって、目立たぬよう、
竹やぶにかくしたそうじゃ。
それから長い間、だれもが忘れてしまっていた。
ある年、八日市宿の甲州屋伝右ヱ門というお人が、ふと竹やぶの奥に
ある気配を感じた。踏み入ってみると、立派な石燈籠がある。何気なく、
それをなでさすって帰った。
それから、なぜか、伝右ヱ門どのは運がひらけ、とんとんと好事に恵
まれた。
「これは、開運燈籠じゃ」ということで、人々に知られた。
大久保家の全盛時にあやかった縁起じゃった。
その後、石燈籠は境内の表に置かれ、めでたいと、たくさんの人に
親しまれた。

(菊池正「とんとんむかし」
 とんとん健康散歩の会「とんとん健康散歩道71回」より)

この話に登場する開運燈籠は、いつしか行方がわからなくなったという。
だが、興林寺の墓地に残るこの石が開運燈籠であるといわれている。
燈籠の形をなしていないのは、風化によるものか、あるいは開運燈籠
のご利益にあやかろうと、話を知った人々がなでたためなのだろうか。