八王子の景色   三多摩壮士 秋山文太郎碑                                [戻る]



橋本義夫氏の建碑運動の一つに、秋山文太郎を顕彰した碑がある
ことを知った。
緑町の市営霊園の墓地にその碑があることが判明したが、碑の所在
が判らず、何度かの訪問の末に漸く探しあてた。

碑には
三多摩壮士
秋山文太郎碑
の文字が刻まれ、碑陰には、
一九世紀終 自由民権ノ為ニ活動セシ
若者ヲ壮士ト称セリ 多摩ヨリ出デシ者ハ
三多摩壮士トシテ知ラレタリ□□□□□□□
□由□□□□□□八王子市長トシテ
(一行破損)
□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□ 昭和九年十月三十日八王子□ニ歿ス
昭和廿九年十月
とある。(碑の損壊などのため判読出来ない部分がある)

三多摩地域は明治期の自由民権運動において強大な力となっており、
時には力ずくの手段も用いるような勇壮な若者達は三多摩壮士と呼ば
れていた。




橋本義夫氏は、「大日本帝国憲法発布後、「専制政府転覆・自由民権
万歳」の旗を持って市中を練り歩いたという三多摩壮士・秋山文太郎を
称え、この碑を建てたという。
(参考:八王子市教育委員会「橋本義夫〜民衆の掘り起こしから創造
へ〜」2001年10月)


秋山文太郎氏は昭和4年に第4代の八王子市長に就任しているが、在
任4か月で市長を辞めている。
また、八王子は大正6年に都下で初めて市制を施行したが、この年に
募集した八王子市章を考案したのは秋山文太郎であった。
(参考 『はちとぴbP 「コラム 八王子新発見 八王子市章の考案者・
秋山文太郎」 沼 謙吉』)

碑の前にある花入れ市章が、それを物語っているかのようだ。