梅坪天神社 [戻る]
梅坪町を通る新滝山街道から南の山側を見上げると、コンビニの
裏手に神社の建物がわずかに見える。
細い坂道を上がっていくと梅坪天神社の境内が見えてくる。
木造の両部鳥居は枯れた雰囲気を感じるが、ここから先は神域だ
としっかりと主張しているようにも見える。
天神神社
梅坪町。祭神天穂日命(あめのほひのみこと)。例祭日4月第3日
曜日。創建年代は明らかではないが、一説には天安年間(857〜
59)のころ北野威徳天神を奉斎し、「梅坪の天神」と称した。
1237年(嘉禎3)藤原頼経の家臣の冨所左衛門左近将監が社殿
を再建、降って、1569年(永禄12)武田信玄の滝山城攻略の時、
兵火により焼失。1683年(天和3)以降、享保、宝暦期に各々社殿
を再建した。
1811年(文化8)9月子安明神・甲明神を合祀して社殿を再建、
現在の社殿は1972年(昭和47)に造営されたもの。境内社に稲
荷社がある。例祭日には簓獅子舞(ささらししまい)が奉納される。
[社宝]永禄年間、北条氏照寄進による獅子3頭、俳人奉額、棟札
5枚。[市指定文化財]梅坪簓獅子舞
(八王子事典の会「八王子事典」より)
簓獅子舞は『春の梅坪、秋の石川』とも呼ばれ、4月は梅坪天神で
の簓獅子舞、9月には石川町の御嶽神社で龍頭の舞が奉納されて
いたという。
これは、一年の農事の初めとなる田起こし時季に豊作を祈願し、
農事の終わりとなる秋の収穫への感謝を込めて「山の神」に奉納を
したものだろう。
「山の神」は春になると山から里に下りて来て「田の神」となり、秋に
なるとまた山に戻るとされている。
ここから程近い丘陵上に、「戦国の名城」と呼ばれる滝山城跡が
あるが、ここには「山の神曲輪」と呼ばれる場所があり、山の神が
住む山として祀った場所と考えらる。
梅坪の簓獅子舞は昭和44年の奉納を最後に途絶えている。
石川の龍頭の舞が今も奉納が続けられているだけに残念である。