高尾天満宮 [戻る]
春の嵐が吹き荒れた翌日、高尾天満宮を訪ねた。
枝から落ちた梅の花びらあたり一面に散っている。
由来
御祭神菅原道真公は平安中期の学者、政治家で菅原是善の三男に
生れ、十一才で詩を作り、父を驚かせたという。八三七年、宇多天皇
は醍醐天皇に譲位の際、道真一人を相談相手としたと言う。八九三年、
時平は左大臣、道真は右大臣に任ぜられ、吉備真備(きびのまきび)に
次ぐ学界出身の大臣となった。
当時としては実に破天荒な出世であり、藤原氏や学閥の反感は大きく
九〇一年(延喜一年)道真は天皇の廃位をはかったかどで左遷された。
九二三年罪を取り消され九九三年には正一位太政大臣を贈られた。
以後道真は天神天満として祭られ、文道の神として異例の尊崇を受け
ている。
当社は高尾山麓(この地)に数百年鎮座せられ、この近郷住民の信仰の
的であったと言う。近年は学業成就、交通安全の祈願に参詣する人が
多い。
天満宮
(説明板より)
天満宮の周囲は高尾梅郷の梅の木で囲まれている。
今年は寒い日が続き、梅の開花も遅れている。
ようやく咲いた梅の花を眺めながら遊歩道を歩く人の姿や、天満宮の下
の梅園の中で酒宴を開く人達が見られた。